野村証券(読み)のむらしょうけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野村証券」の意味・わかりやすい解説

野村証券(株)
のむらしょうけん

証券会社のトップ。1925年(大正14)大阪野村銀行(後の大和(だいわ)銀行、現りそな銀行)証券部が独立して設立。前史は野村徳七(とくしち)商店の証券業務開始(1904)までさかのぼる。1927年(昭和2)ニューヨーク出張所を設置、1938年株式売買業務に進出して総合的証券業者に成長、1941年には投資信託も開始した。第二次世界大戦後の1947年(昭和22)配電株の大量公募で復興の第一歩を踏み出し、1951年投資信託を再開、1954年証券代行業務を開始、1959年には外債発行引受団に参加し国際業務を再開、1961年日本企業のADR発行、1970年円建て外債引受開始。また1969年ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルをはじめ現地法人を設立して世界最大規模の証券会社に成長する。一方、1957年野村不動産、1959年投信分離で東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)、野村投資信託委託、1965年野村総合研究所、1973年野村ツーリストビューローを設立し多角化を図っている。また、2001年(平成13)10月には野村証券から分割するかたち持株会社野村ホールディングスが誕生。野村証券をはじめとする野村グループはその傘下に入った。野村ホールディングスの資本金は1828億円(2008)。野村証券の資本金100億円(2008)、営業収益7105億円(2008)。

[田付茉莉子]

『野村證券株式会社編・刊『野村證券株式会社五十年史』(1976)』『野村證券80年記録編纂委員会編纂『野村證券史 1986-2005』(2006・野村ホールディングス)』

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改訂新版 世界大百科事典 「野村証券」の意味・わかりやすい解説

野村証券[株] (のむらしょうけん)

証券業界のトップ,世界でも有数の証券会社。1925年に大阪野村銀行(現,大和銀行)の証券部が独立して大阪に設立された。創業者は野村財閥を築いた2代目野村徳七。しかし野村としての証券業は1903年,野村徳七商店(現,大阪屋証券)が始めている。当初,公社債専門業者として発足したが,38年に株式売買業務を,41年には日本最初の投資信託業務を,それぞれ開始した。43年に第一証券,44年に久保田証券を吸収合併。第2次大戦後,野村財閥がGHQの財閥指定を受けるに伴い,野村合名会社の被支配会社として野村証券(株)も制限会社となったが,その後は株式市場の活況を背景に順調に業容を拡大した。46年に本店を東京に移転。以後,51年の投資信託再開のほか,転換社債や証券代行業務の日本への導入などでも業界で指導的役割を果たした。57年に野村不動産(株)を設立して不動産部門に進出する一方,59年には野村証券投資信託委託(株),野村証券投資信託販売(株)を設立,65年には(株)野村総合研究所を設立するなど,野村グループを総合的な金融グループとして確固たるものとした。さらに,積極的な国際化を推進した結果,世界有数の総合金融会社に成長している。2001年社名を野村ホールディングスに変更。資本金1828億円(2005年9月),営業収益1兆1262億円(2005年3月期)。
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百科事典マイペディア 「野村証券」の意味・わかりやすい解説

野村証券[株]【のむらしょうけん】

野村ホールディングス

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